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「たむちゃんは、いつ死んでも後悔しない生き方をしてこれたのかなって。それだけが気がかりだったよ。」

今年の夏、病院の診察後に一安心した夫に言われた言葉だ。

今年ある病気になって色々考えた中で、この言葉が一番鮮明に残っているし、今後も私の行動の指針になってくれる言葉だとも思う。

 

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治療も終わって腫瘍もなくなったので簡潔に言うと、今年の7月に初期の乳がんが見つかった。

春くらいからあった違和感が増してきたので病院に行くと、精密検査をすることに。6月から7月にかけて何度か検査を進めるうちに、段々と技師さん・看護婦さんの顔つきが真剣になっていく。「ああ、これはあまり良くないんだろうなぁ」と感じていた。

 

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緊張と不安がピークに達したのは、告知前。

最悪の事態も想像していた私と夫にとって、初期の乳がんで、おそらく手術で腫瘍が取り除けると告げたお医者さんの言葉で、生き返るような気持ちになった。

そこでほっとした夫から出た一言が、冒頭の言葉だった。

 

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告知や手術が終わってからしばらく経つし、不安やモヤモヤする気持ちはもうほとんど吐き出し切ったと思う。乳がんの経験や再発予防を心がけることは、すっかり私の一部になっている。

今回記録に残しておきたいことは、病気になったことでたくさん考えて、その結果たくさん得られた”気付き”だ。

 

 

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今回自分で少し驚いたのは、「死にたくない、長生きしたい!!」と思っている自分の生への執着だった。

「なんで生きているのだろう」という気持ちになることが多く、半ば無気力に生きている自分にも、明確に「生きたい」と思う力強い意志があった。

「来年自分はいないかもしれない」という可能性が出てきて初めて、自分の本心に気付くことができた。

自分や他人への甘えのせいで気付けなかったといえばそれまでだが、「死」というものをどこかファンタジーのような遠い存在のように感じていたことが、懸命に生きる意欲を失わせていた一つの原因だと思う。

 

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きっとそれは私だけでなく、今を生きる少なくはない数の人が抱えている問題だと思う。

自分の気付きをシェアして、読んでくださる方にとって少しでも生きる活力が湧いたり、「いつ死んでも後悔しない生き方」を考える機会にしてもらえたら嬉しい。

 

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最初にまず何より、自立した考えを持っている夫や両親に感謝したい。

夫に乳がんの可能性を伝える時も、両親に結果を伝える時も、「夫や両親が不安になってしまったり、絶望してしまったり、泣きつかれたりしたらどうしよう」ととても悩んで、自分自身が不安定な状態になっていた。

そんな私の告知に動揺することなく、力強く励ましてくれる家族だったからこそ、他人(家族)の心配をせずに自分がこれからどうしたいかだけを真剣に考えることができた。

人のことは考えず、自分だけの欲望、「いつ死んでも後悔しない生き方」を真剣に考えることができて、それをきっかけに私の価値観が良い方向に変わっていった。

 

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乳がんと言っても初期のものなのに「死を意識した」というとおおげさに聞こえるかもしれない。

実際蓋を開けてみれば大袈裟だったのだが、ペッシミストな私は、告知で余命でも告げられた時にはしばらく再起不能になるだろうと思って、最悪の事態を告げられた場合にどうするかを予めシミュレーションしていた。

 

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参考になったのが、学生時代に読んだ時にはピンとこなかったデール・カーネギーの「道は開ける」という言わずと知れたベストセラー本。

その本に書いてある方法に則って、「最悪の事態を想定して、それを一旦受け入れて、改善策を考える」という方法で、不安を解消し、精神を安定させようとした。

 

カーネギーの本には、爆薬が積載されたいつ沈んでもおかしくない戦艦に乗っている軍人や、明日の行動次第では占領軍に撃ち殺されるかもしれない経営者が、どう不安な気持ちを取り除いたかが書かれていた。そういう時代だったのだろう。自分の悩みがちっぽけに感じるような、ハードな状況だ。

そんな人々でも不安を取り除き、最善の行動を取って危機を免れたという話は、私に大きな勇気を与えてくれた。

 

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とは言っても、私自身は最悪の事態をいくら想像しても、それを受け入れるイメージは全くできなかった。

死に伴う苦痛への不安もあるが、もうすぐ終わるなんて受け入れられる程、真剣に生きてこなかったせいも大きいだろう。

 

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「正直私には世の中をこうしたいとか、一貫してやりたいこと・やる覚悟があることが無い。」

「そういうことがある人間になりたくて色々手を出してはみるものの、興味も気力も続かない。」

「そもそも自分が何がしたいのか分からない。」

「・・・自分は自分のこと、まだ何も知ってすらいないじゃないか。」

「そうだ、自分に何があるのか、どんな可能性があるのかだけでもせめて分かってから死にたい。」

そう思った。

 

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アンパンマンのマーチが代弁してくれている。

「何のために生まれて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのは嫌だ!」

「知りたい」「分かりたい」生きる理由なんてこれで充分なんだ。

これが今、私が精力的に生きるための活力になっている。

 

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「ある」ことが当たり前だと思っていたのが間違いだった。

家族や暖かい家で三食不自由なく食べて過ごせる今の生活、学校生活や社会に出て手に入れた仲間や今持っているスキル。

今まであって当たり前だと、ありがたみを感じていなかったものに目を向けることができた。

「何も無い」ことが始まりで、そこから少しづつ色々なものを培ってきた自分の努力や、家族や周りの人の助けに気付いて、そのありがたさが理解できるようになった。

だから、今まで通過点とすら思っていなくてすっ飛ばしてきた「自分の可能性を探る」ことも、今はそれ自体が立派な生きる理由だと感じている。

何もかも無くなるかもしれないと想像することで、やっと気付いた。

 

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長くなってきたが、もう2つほど気付いたことを書かせてほしい。

 

 

1つは、人生って寿命を全うするにしても、充分短いということ。

今までは、想定するゴールが無かったことも問題だったが、時間配分を想像する力も乏しかった。

 

「あと半年の命だったらどうする?」

これが想像出来るようになったことで、常に後の半年間を全力で、でも息切れしない速さで走り抜けるイメージが出来るようになった。

いつも常に、この先の半年間のことだけを考えればいい。

 

今の私には半年くらいのスパンがちょうど良いのだと思う。

「もし明日地球が終わるとしたら、何をする?」という問いはよく聞くが、「あと1日」を実際に実行する指標とすると非現実的だ。

かと言って、数年と言われると想像がつかない。

1ヶ月や1年というスパンが良い人もいると思う。

自分が無理なく全力を出せる、「あと○○ヶ月でいなくなるとしたら・・」の感覚を持っていると、生きやすくなると思う。

 

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最後に。

 

「人生はこんなに短いのならば、人がどう思うかを気にしている暇はない。」

基本的に人の評価を求めて生きてきた自分に、こういう感覚が芽生えたのは大きな成長だ。

 

と同時に、

「自分が人のことを気にしている暇がないのであれば、相手も自分のことを気にしている暇はない。」

「お互いに限りある時間を有意義に過ごすために、人の迷惑にならないようにしなきゃ」

「なんなら、他人の時間も同じようにこんなに大切なのだから、自分が他人の時間をより有意義に出来ることはないか?」

とも考えるようになった。

言葉にすると不思議なものだが、他人の目を気にしなくなると、他人のことを考えられるようになるものらしい。

 

これからは全力でマイペースに、時には誰かの伴走もしながら生きていけたら良いな、と思う。

 

 

編集後記

もう半年ほど前のことなので、記憶も曖昧になってきています。赤裸々な気持ちを書くことは恥ずかしいのですが、経験したことは年月が経つと薄れていくもの。当時の心境を思い出しながらなるべくそのままの気持ちで書きました。

既に私と似たような経験をした方、もっとずっと辛い経験をした方も多いかと思います。人生のどこかで気付くこと、経験が増えることでどんどんと現実味を帯びていく感覚なのかもしれません。

また先が見えない気持ちになった時に、この記事を読んで思い出そうと思います。

 

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最後まで読んでくれてありがとう!

後悔の無い素晴らしい人生をお送りください。

 

 

 

 

 

 

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