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ずっと、「何者かになりたい」という気持ちに囚われていましたが、いつの間にか無くなっていました。「今」と「次の瞬間」を生きる感覚が分かるようになったおかげだと思います。

「今」を生きて「次の瞬間」のことだけを考えられれば、世間が作り上げた「何者か」という揺らぎの少ない存在にしがみつかなくても、少しずつ歩いていけるんだと思います。

読んでくださっている方にとっても、何か気付きがあったら嬉しいです。

 

※ この記事は、音声配信を書き起こしたものです

 

 

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こんにちはたむです。

今日は私が昔からずっととらわれてきた、「何者かになりたい」っていう気持ちが最近なくなってきたな、と気付いたので、その話をしたいと思っています。

 

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いつからか分からないんですけど、多分物心ついた時、小学生とかそのぐらいから、私は何者かになりたかったんですよね。

自分っていう不安定なものじゃなくて、何か世間の中で既に出来上がっている概念。例えば、大学生とか社会人の頃はずっとデザインの勉強していたので、「デザイナーになりたい」とか。後は、「正社員」という肩書きだったり、体調を崩して会社員でいられない療養期間中はすごく不安で、「主婦」って名乗ってみたり。

とにかく自分が世間で何か既にある当てはめられるもの、「何者か」になりたくって、ずっと自分は何者なんだろうって探し回って、「あ、私はこれなんじゃないか」「あれなんじゃないか」ってヤドカリみたいにずっと、何者かっていうのを探しまわっていました。

 

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大学時代にデザインを勉強していて就職活動がうまくいかなくて、大学卒業してからアルバイトをしながら夜間の専門学校でまたデザインを学び直していたんですけど、とにかく(何でも多分良かったと思うんですけど)すごくデザインというものに固執していました。世間で既に出来上がっていたり、デザイン学科の先生とか学生達の間で出来上がっている、「デザイナー」っていう概念の中に自分も入りたいって、すごく固執してたんだと思うんですよね。

それで自分の適性とかよりも「デザイナー」っていうのを目指しすぎていて。夫とは学生時代からの付き合いで、10年以上一緒にいるんですけど、よくその頃から夫に言われていたのが、「”たむちゃん”は”たむちゃん”っていう職業になればいいんだよ。デザイナーとかエンジニアとかそういった既に世間にある職業にとらわれずに、自分が世の中にできることを考えて作り出して行けばいいんだよ」ってずっと言われてたんですけど、その当時は全然ピンとこなかったんですよね。

 

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それから会社員になったり社会人経験をして、段々と夫の言っている意味も少しは分かるようになってきたんですけど、それでも自分が「私」という職業になる、「私になる」って言うのが全然実感として理解できなくて。

何か私の「中」ではなく「外」にあるゆるぎないもの、「何者か」という事に、やっぱりすごく憧れと言うかすごく拘っていたなって思っています。

 

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ただ、ずっと先とか何時間先とか、その先のことではなく、「一歩前、一瞬先の自分が、今よりもちょっとでも前向きになることを考える。次の瞬間も、その次の瞬間も、瞬間瞬間が、そういった考え方の繰り返し」っていう考え方を受け入れて、実践できるようになったことで、「もしかして、”何者かになる”じゃなくって”私になる”っていう事は、何か目指すということではなく、今を生きる。”なる”じゃなくって、”ある”って言うことだったのかな」って、なんだかすごく腑に落ちました。

何者かになるっていう未来のこと・一点を見つめて進むんじゃなくて、ちゃんと足元の今、現在進行形で今を見つめるっていうことが、「私になる」「私という職業になる」っていう、夫の言っていた言葉の意味なのかなって、思いました。

 

お風呂場で水浴びしてる植物

 

周囲を見渡してみると、仕事のできる人だったり自分のことよく分かっている人達っていうのは、まず自分の本当にしたいこと・心の中っていうのをちゃんと把握して、それで今すでにある職業の中で自分に合っているなって思うものがあったらそれを目指して、無い場合は、とりあえず何か既にある職業を仮置きしつつも、「自分の仕事を作っていく」っていうことをしているなーって思って。

私のように不安だから、何か既に概念としてしっかりあるもの、「職業」「肩書き」とか、そういったものじゃなくって、それを最初から前提として言っているわけじゃなくって、まずは自分の心の中とか、不安だけど一歩一歩を手探りで進んでいって、そこから自分っていう仕事を作ったり、「自分は自分である」って言う自信を持ったりしているよなって思います。

今既にある仕事だったりとか、誰でもが知っているような、誰もが憧れるような生き方っていうのが自分に合っているって言うのは確率的にも少ないし、だから何者かになる必要はなくて。

 

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・・・でもやっぱり、「何者か」っていうゆるぎないものにしがみつけないと不安だから・・・

だからこそ前を見過ぎないで、吊り橋を渡る時のように、本当に一歩先の、足元だけでもいいから、「今を集中して生きること」っていうのが大切なんだなって、最近すごく実感しています。

 

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音声で聞く

 

編集後記

 

自分の考えを周囲の評価から切り離して考えることは、意外と難しいもので・・

今回、「今を集中して生きる」というお話をしましたが、それは、周囲の価値観・周りの雑音から逃れるための「手段」の一つだと思います。

「何者か」にこだわってしまうのは、周囲の価値観に強く影響されすぎている、という可能性があります。私自身は、周囲の価値観から一旦距離を置くことで、自分の価値観・自分が好きなことや合っていることを少しずつ自覚できるようになってきました。

 

ところで、音声配信の内容を書き起こすたびに、自分が周囲から成長が遅れていることに客観的に気付いて、恥ずかしくなります。

でも、成長するためには自分を客観視していかなきゃいけないし、今まで気づかずに心配や迷惑をかけてきた人たちに、「気付いたよ」って知らせるためにも、書き起こしは続けていこうかなぁ・・と。

それから、昔の私のように悩んでいる人に届きますように。

 

関連書籍

読みながら、「今を集中して生きる」「不安への対処法」「頭の切り替え方」などが身に付いていった本です ☺︎

▲ 内容的には一番おすすめですが、結構ボリュームがあります。

▲ サクッと読みやすい本です。

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